つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

花と読書と「好き」

特にこれといった予定のない土日。

いつもの家事のほかに敷布団カバーの洗濯をしてから、買わなくてはならないものを買いに行き、本屋さんに立ち寄り、めし炊き&冷凍の作業をして、少し本を読み、月曜以降の私が楽できるように少しだけ仕事を進めたところで夜が来た土曜日。

いつもの家事をしてから、精米+食品の買い物へ行き、一度帰宅してから近所の図書館へ新聞(書評)を読みに行き、めし炊き&冷凍の作業をして、少し本を読み、月曜以降の私が楽できるようにあと少しだけ仕事を進めようと思ったはずなのに、ブログを書き始めたことに気づいたのがいま(日曜日の夕方)。


近所の公園のバラがとても美しく咲き、香っている。とてもきちんと手入れがされており、年に2回、見事に花を咲かせてくれる。


よく晴れた日に、このつるバラのアーチを見上げるのが好き。

壁一面を覆いつくすこのかわいらしい感じのバラも大好き。

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一時期、調子がよくなかったときに森田療法を受けていたことがある。

先生と話をするなかで、どういう経緯だったか覚えていないが、花の話題になった。「あなた、お花が好きなんですね」という先生の言葉に、私は「うーん、好き、なのかなぁ。好きといえるほどではないかも…そんなに詳しくないし(本当に花が好きな友人は、自分よりもすごくたくさんの花を知っていて、とても上手に育てるし)…」という返答をしたと思う。そうしたら、先生は、「好きかどうかなんて、ほかの人とくらべるものではない。自分が好きなら好き、それでいい」というようなことをおっしゃった。

それから、気持ちが楽になった。

自分が好きだと思ったら、好きでよい。好きだと言ってもいい。

花が好き。鳥が好き。刺し子が好き。書くことが好き。歩くことが好き。和菓子が好き。美術館が好き。魚が好き。山が見える風景が好き。紅茶が好き。詩が好き。翻訳が好き。

たとえ、ほかの人よりくわしくなくても、ほかの人より上手くできなくても(もちろん、くわしくなりたいし、上手くなりたい)。

 

最近、読書が好きになってきたかもしれない、と思う。

子どものころから、本を読むほうだったかと問われるとそうでもなく、学校に図書館があるから、家の近くに移動図書館が来るから、借りて読む、読書感想文を書かなきゃならないから買って読む、あとは時々本屋さんに連れて行ってもらったときに気に入ったものがあれば買ってもらう、という程度だったと思う。

絵本や児童書のよさを知ったのも、18歳になってからのことだ。絵本(本)が大好きな友人に、そのおもしろさを教えてもらったのだ。
幼いころの記憶にある絵本は、家にあった『ノンタンおねしょでしょん』(キヨノサチコ 作・絵、偕成社)と『11ぴきのねこ』(馬場のぼる 作、こぐま社)くらいだ。『ぐりとぐら』(なかがわりえこ 作/おおむらゆりこ 絵、福音館書店)など定番のロングセラーでさえ、その友人に出会ってから知った。

そのときから絵本や本に少し興味を持つようになったけれども、それでも、「本」は好きになったような気がするけれど、「読書」が好き、という感じではないような気がしていた。それに、本物の本&読書好きの人の様子を知っていた(先ほどの友人も、「私、常に活字が手元にないと死んじゃいそう。どうしよう」というようなことを常日頃から言っていた)から、それにくらべると、私などは本に関心がない人の部類に入るのではないかと思っていた(森田療法の先生の言葉に出合う前だから余計に)。

 

ということで、最近になって、読書が好き、なのかもしれないと思うようになった。

常に手元に「読みかけの本」と「次に読む本」、「まもなく読み始めようとしている本」、「いつか読み始めたい本(積読)」がある。特に「読みかけの本」と「次に読む本」は、いつも手元にないと落ち着かないような気さえする。
読みたい本を、新聞や本に掲載されている書評やテレビ番組などで見つけようとする作業も楽しくてしかたがない。

きのう本屋さんに立ち寄って購入したのがこの2冊。

特集「研究者の本が面白い!」が気になって購入した本の雑誌。さっそく広げてみると、おもしろそうな本が数多く紹介されており、わくわくしてしかたがないと同時に、どうしよう読み切れない…と心配にもなる。自分がすでに読んだ本や積読にしている本が話題にのぼっているのもうれしい。

『いっしょに翻訳してみない?』(越前敏弥、河出書房新社)、とても楽しみ。以前、中学二年生を対象に越前先生が実施された特別授業の内容がまとめられた本だという。こういうの、とても好き。