つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

読書『科学者とあたま』

どんぐりの季節がやってきたので、本棚からこの本を抜き出し「団栗」を読む。

『科学者とあたま』(寺田寅彦平凡社)は、最初、図書館から借りてきて読んだのだが、美しくて心に染み入るこの文章を手元に置いておきたくなったため購入した。

ここに収められている作品14篇のうち(…いや、正直に言うとまだ読んでいない作品もあるのだが)一番気に入っているのが「団栗」。

肺病により早くに亡くなった妻との日々が描かれており、文章全体に哀しみや切なさが漂っているものの、亡き妻やわが子に対する愛情あふれる著者の目線が感じられ、あたたかい気持ちになる。

ふたりで出かけた植物園で、ふと団栗を見つけて熱心に拾いはじめた身重の妻。

「『一体そんなに拾って、どうしようと云うのだ』と聞くと、面白そうに笑いながら、『だって拾うのが面白いじゃありませんか』と云う」(p.122)。

「団栗を拾って喜んだ妻も今はいない」が、亡き妻とのあいだに産まれた六つになるわが子の無邪気な姿に、その母である亡き妻の姿が重なる。子は、かつての妻と同じように、団栗を大変面白がり、頬を紅潮させながら夢中になって拾うのだった。

私がこの「団栗」を好きな理由には、先ほども書いたように、切なくもあたたかいストーリーが好きだということもあるが、なんといっても、「私はどんぐりが好き」、ということがある。

どんぐりを見つけるとつい拾ってしまう。どうして拾うのかと訊かれれば、私も迷わず「拾うのが面白いからに決まってるやん」と答えるだろう。どんぐりを拾う人のなかには、加工しておもちゃにするためなど別の回答をする人もいると思うが、私の場合は「亡き妻」と同様にとにかく拾うのが面白い。同じように感じる人とはきっと友だちになれると思う。

ちなみに、つくしの私は、つくしも、つくしを採るのも好きだ。
幼いころから、毎年、春の早い時期に父とつくしを採りに出かけていたことが私をつくし好きにさせたのだと思う。

父と私は、まるで「団栗」に描かれた亡き妻とその子のようである……と、勝手に結び付けてみたが、ちょっと(だいぶ)ちがうか。

冒頭の「線香花火」も素晴らしい。線香花火の研究を手がけた物理学者であり随筆家である著者のなかからしか出てこない表現には、魂を揺さぶれられるような心地がする。点火してからフィナーレまでの経過を「火花の音楽」として、ラルゴやアンダンテなどといった速度標語や曲で表現しているところもとても美しく、見事である。

タイトルの「科学者とあたま」も、ユニークでありながら、自分への戒めという意味で心に留めておきたいことばにあふれており、短い作品ながら強烈なインパクトと面白さがある。

 

この本は私にとって、人生で何度も読み返さずにはいられない本の1冊になりそうだ。