つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

えんぴつがトントン

家族が健康診断を受けるために問診表を記入しようとしていた。

どうやら、鉛筆で記入する必要があるらしい。貸してほしいと言われたので鉛筆削りと消しゴムとともに差し出した。

「ちょっとまるいかも。トントンのほうがよければ、鉛筆削り使ってね」

自分で言って自分で気づいたのは、「トントン」という言葉をとても久しぶりに使ったということ。

鉛筆がとがっている様子を示すために使われるこの言葉。

小中学生のときは毎日鉛筆を使っていたから、「トントンの鉛筆」とか「トントンにしなきゃ」とか、自分も周りも日常的に使用していたものだ。

 

でも、待てよ。
これってもしかすると方言か?

そう思って検索してみたところ、以下のような記事が見つかった。

〈校閲記者のほぉ~げんワード〉鉛筆の先が鋭い様子、何て言う?:中日新聞Web

 

「トントン」は少数派だった。

自分が使っている言葉は、つい、傲慢にも、みんなも使っているんじゃないかとか全国的に使用されているんじゃないかとか感じてしまうことがある。この「トントン」もそうなのかな、と思っていたが、ばっちり方言のようである。

しかも、多数派を示すグラフには入れず、「その他にも言い方が!」という欄に記載されている程度。「主には多治見市がある東濃地域や豊橋市がある東三河地域で使われている言い方のようです」と。

 

それにしても、各地いろいろあって面白い。どれもそれっぽいような気もするし、やっぱり自分が使い慣れている「トントン」だよね!とも思うし。

新鮮だったのが、「関西地方には『鉛筆の先が丸い様子』を表す『ボンボン』という言い方があります」ということ。かわいい。「ボンボンだからピンピンにしなきゃ」とか言うのかな。

だれかが言い始めて、特定の範囲で広がっていく言葉には独特の響きがありなんだか愛を感じてしまう。地域集団よりももっと狭い範囲、たとえば特定の仲間内や家族だけでしか使われていない言葉もありますよね(少なくとも、我が家にはある)。言葉は無限。言葉は楽しい!

おまけ


小学生のころ集めていた文房具。使うために買うのだけど、特に気に入ったものはなかなか使えなくていまも残っている(ピノキオだけは、元同僚からもらったイタリア土産)。最近になって少しずつ使っているけど、やっぱりいまでも使うのが惜しいと思ってしまう。