つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

もう少し、冬

きのう、きょうと、ここ関東ではとても風が強い。

つい先日までぽかぽかで、このまま勢いで春になってしまうのかと思いきや、冬がまだそうはさせないつもりらしい。北からの強風を感じながら、ついつい「きたかぜ~こぞうのかんたろう~(かんたろう~)♪♪~ふゆでござん~す ヒュルルルルルルン」(北風小僧の寒太郎)と口ずさんでしまう。寒太郎、踏ん張るね。

早くあたたかくなってほしいとは思うものの、最近の春や夏はせっかちすぎるかな。焦らなくてもいいんだよって思う。

少しずつ、少しずつ。

本屋さんから持ち帰ってきた2冊。

通訳翻訳ジャーナルは、特に海外取引に関する記事が気になって購入。

もう1冊は『語れ、内なる沖縄よ わたしと家族の来た道』(エリザベス・ミキ・ブリナ 著、石垣賀子 訳、みすず書房)。

www.msz.co.jp

訳者さんのあとがきもこちらから読むことができる↓
もうひとつのアイデンティティへの目覚め | WEBみすず

どんな読書体験ができるのか、とても楽しみ。

心の宝箱に入れておく素敵な一日

いまもまだ余韻にひたっている。

とても素敵な一日だった。

心の宝箱の奥のほうに大切にしまっておいて、ときどき取り出して眺めて何度もそのうれしい気持ちをいつまでもかみしめたいそんな一日。

今週、ものすごく久しぶりに友人とお出かけをした。

美術館、カフェでランチ&お茶、公園、パン屋さん。

なによりも彼女と一緒に時間を過ごせたことがめちゃくちゃうれしくて、楽しくて。

 

コロナ以降、そして強迫症を発症してから、外出するのがこわくてずっと閉じこもっていた約4年間(それ以上かも)にわたる日々。少しずつ、一人で、それか家族や同じ病気の仲間と外に出る機会を増やすよう努めていたものの、それ以外の人と、しかも苦手な冬に長時間のお出かけをするのには勇気が必要だった。

やはりさまざまな不安はあった。

当日が来るまで、感染症の流行状況をチェックしてわざわざ不安になったり、服装や持ち物についても直前まで悩んだりした(これは私のような症状の強迫症患者が、外のトイレを使用するのに際して深刻な問題であると思う)。

その友人はもともと私が病気であることを知っていた(入院などのときにもとても力をもらった)。私との約束について、私の不安が強まり行くことが難しくなった場合にそなえて予備日まで設定してくれたり、その日の予定についていろいろと気遣ってくれてすべて私のよいようにしてくれた。

迎えた当日。

びっくりするくらい楽しくて、彼女と一緒におしゃべりしたり笑い合ったりしながら歩くのが、食事をするのが、同じ絵を鑑賞している時間がうれしくてたまらず、不安になるひまがなかった。心はずっと喜んでいた。

友人のおかげ。とても穏やかで優しくて、バランス感覚に優れていて、人としても仕事についても私が心から尊敬している人。あったかくてたんぽぽみたいな笑顔で言葉をかけてくれる人。とても素敵すぎて私などが近づいていいのだろうかと思っていたこともあったけど、あるときそれさえも吹き飛ばしてくれる言葉をかけてくれた。だから、彼女といると無理なく自分らしくいられる。

いろいろと面倒な私の一歩につき合ってくれたことに心から感謝している。

宝箱のなかにしまったこの日を、いつでも取り出せると思うとすごく心強い。

 

出久根育展で見つけたかわいいもの素敵なもの。

紺色の袋は、友人からもらったとびきり素敵なもの(ひみつ)。

春の兆し? それとも…

この1週間はあっという間だった。

私の場合、いろいろと余裕のあるときよりも、あまり余裕がないとき、あれこれとたくさんの出来事が起こるときのほうが時がたつのが早い気がする。

幼い子どもというのは、見るもの出会うものすべてが新しく、一瞬一瞬に発見や驚き、喜びなどがあるから時がたつのを遅いと感じる傾向がある一方、年齢を重ねるにつれて、そのような発見が少なくなっていくため時がたつのを早く感じるようになる傾向がある、というような考え方を以前どこかで聞いた(読んだ?)ことがあるのだが、実際どうなのだろうか。

ありがたいことに、1月下旬ころ一時的に依頼が減っていた仕事は、2月に入り勢いを取り戻した。今週は特に、小さな仕事だけど次から次へと連絡をいただきめまぐるしかった。しかもその一つひとつ、開始してみると思いがけず手間のかかるものも混じっていたりして、それについて先方に問い合わせたり交渉したりする緊張感やエネルギーも必要だった。

週の終わりには、今月末にかけて少しまとまった量の仕事をいただけたので(小さな仕事を次々…ではないので)少し落ち着くかなと思う。3月から4月にかけての依頼も少しずついただいている。

もう一つびっくりした出来事は、2016年に登録した翻訳会社さん(フリーランスになって初めて登録した会社)から、これまで一切連絡がなかったのに、突然連絡があったこと。どうやら医薬部門で今後仕事が動き出すかもしれないから協力してほしいとのこと。びっくり。

 

実のところ、1月に仕事が減った際いろいろと考えていたのだ。翻訳と並行して(または翻訳から離れて)新しいことを始める準備をしようかなと。そう思っていたところで「翻訳」がみるみる活気を取り戻したわけで。

私にも春の兆し? それとも… 

「翻訳」が、私のそういう浮気心を察知したのだろうか。翻訳が私を連れ戻しに来たのだろうか。翻訳は私のことそんな好きなの?(←思い上がり)。

鳥に会えた日

いつもよりも少しだけ早く散歩に出た朝。

川沿いを歩いていたら、お食事中のカワセミさんを発見。

先がするどくて長めのくちばしのあいだに何か細長いものを挟んで上手に食べていた。

あーおいしかった。これは食べ終わったところ。

美しく撮影するのは難しい!
でも、カワセミさんには出会えただけでなぜか特別に幸せな気持ちになる。

 

こちらはモズさん。

そしてこの日は、いつもは1~2羽くらいしか見かけない白い鳥がたくさんいた。集会の日だったのだろうか。

野鳥図鑑で確認したところ、たぶんダイサギさんとアオサギさん(奥の1羽)ではないかなぁ。

1羽、集団から離れたところにグレーの小さい鳥さんがせっせせっせといそがしそうに歩き回っていたのだけど、だれなのかわからない。

 

たくさんの鳥に会える日もあれば、会えない日もある。

時間帯にもよるのだと思うけれど、私の「鳥を探す目」の調子がいいかどうかもあるような気がする。そもそも鳥に興味を持つ前は、スズメさんとツバメさん、川を泳ぐ鴨さんくらいしか目に入ってこなかった。

きっと、ほかにも、「見えるのに見ていないもの」「見ようとすれば見えるのに、見ようとしていないから見えないもの」は数えきれないほどあるのだろうな。

大輪

マリリスがひらき始めたのは、今週7日(水)のこと。

8日(木)にはすっかりひらききって、

きょう9日(金)には、ふたつめの花が大きく咲いた!

マリリスの花を見るのはたぶん初めて。

色は、サーモンピンクに近いかな。

それにしてもアマリリスよ、花がこんなに巨大だったとは。

たしか小学生のころに習った「アマリリス」の歌、

♪ラリラリラリラ しらべはアマリリス

かわいらしいメロディーが印象的なこの歌から、もう少し小さな(例えばすずらんみたいな)花を想像していた私、この大輪を見てびっくり。

測ってみたら、茎の長さが約45 cm、花径が約17 cmだった。
おしべとめしべもはっきりしていて、それぞれくるりとカーブしておりなんとも愛らしい。小学校の理科の観察の時間を思い出す。じっくり観察したくなっちゃうね。

うちのテレビと比べてみるとこんな感じ(テレビは20インチ)。
迫力満点。なんだか家族が増えたみたい。きょうは一緒に夕飯を食べようね~。

現在花を咲かせている茎に、あと3つ、つぼみがある。咲いてくれるかな。
向かって左側に伸びている茎も花を咲かせてくれるのだろうか。
まだまだ楽しみ。

マリリスの花がひらくのを待ちながら過ごした今週。

仕事がなく憂鬱な気分で過ごした1月下旬とは異なり、いまはいつもお世話になっている翻訳会社3社の仕事を抱えている。仕事がなかった期間の穴埋めをしようと、来たものはありがたく引き受けた。ふだんは土日祝日にはできるかぎり仕事を入れないようにしているが、3件とも連休明け納品なのでこの3連休は働かなくてはならない。うれしいのだが、重なるときは重なる、ないときはない、本当に。

それではよい週末を。

強迫症(強迫性障害)、佐藤二朗さんのこと

きょう、ネットニュースで佐藤二朗さんが強迫症強迫性障害)であることを知った。

(現在の病名は「強迫症」。「強迫性障害」は以前の呼び名です。ただ、「強迫症」はまだあまり定着していない様子。私は一応言葉を扱う翻訳の仕事をしているので、このブログではいつも最初に「強迫症強迫性障害)」と書いて、それ以降は「強迫症」としています。)

news.tv-asahi.co.jp

強迫症を題材にした『memo』という映画をつくっていたことも知らなかった。観てみたいな。

強迫症、症状は多種多様で人それぞれだけど、記事にある「病。キツイ。マジでキツイ」という短い言葉に込められている強迫症独特のキツさはイヤというほどわかる。

佐藤さんの言葉「世の中で一番大事な『家族』と、世の中で一番大事な『芝居』を、絶対に、絶対に、浸食されぬよう、僕は生きるか死ぬかで、全身全霊で生きる」。私の場合はあっという間に家族を巻き込んでひどい状態に、仕事どころか何もできない、自宅で一歩も動けないような状態になってしまった。そこまで悪化した原因には、私の場合は、病院に行くこと、強迫症の薬を飲むことそのものが恐怖の対象であり、そのあまりの恐ろしさにギリギリまで行動に移さなかった点や、オンラインカウンセリングを受け行動療法を開始していたものの悪化のスピードが速すぎて追いつかなかった点がある。

だから、どうか、佐藤二朗さん含め強迫症を抱える人たちが、大事なものを守りつづけられることを切に願う。なんてえらそうに言う私も、二度とあんなふうになってたまるかという強い決意のもとで生きていく。

完治できれば何よりうれしいが、自分は難しいのかなとも思う(再発する人や完治しない人も多いが、完治した人もいる。完治した人には患者会で会えた)。

強迫観念による強迫行為(私の場合は、手を洗い続ける、病院や薬局に怖くて行けないなど)は、徐々に改善されているものの、恐怖の源(特定のウイルスや菌→それによる特定の身体症状)そのものは相変わらず恐ろしいままで、いつか「大丈夫」になるとは考えにくいためである。

それから、現在、高用量で服用している薬を減らしたり中止したりすれば、症状がどう変動するかもまだわからない(薬の効果は人それぞれだが、私の場合は運よく効果を示している様子)。

症状がある程度落ち着いたとしても、私の場合、行動療法はおそらく一生続けていかなくてはならないのではないかと思っている。つまり、一生この病とつきあっていくということ。その点で、佐藤さんがおっしゃる「病含め僕」という力強い言葉にとても勇気をもらった。

***


きょうのアマリリス。あなたは一体、この先どうなっていくんだい?

 

before(2日前)がこちら。毎日、まったくちがう姿を見せてくれる。

 

*個人的なお知らせ*
以前の記事にコメントをくださった方へ。お返事の文章を追加しました。もしまだお読みいただいていない場合、お手数ですが、よろしければ読んでいただけたらと思います。

立春の散歩

平日も休日も散歩にはほぼ必ず行く。

平日はひとりで。休日は夫とふたりで。

「行こう」とわざわざ気合いを入れなくても、「行こう」とわざわざ提案しなくても、手洗いや歯みがきなどと同じように組み込まれている日常である。散歩経路は気まぐれで、(すぐ近くにある広い公園を選ぶことが多いが)その日、その場の気分によって決める。

 

ところで、私の強迫症強迫性障害)の症状はありがたいことにいいほうへ向かっている。そのため、その良好な状態を定着させるために意識的にトレーニングの機会をさらに増やすようにしている。

そこできょうはドラッグストア(感染症の人が来店する可能性を頭に浮かべてしまうため苦手な場所)に立ち寄ることにした。

きょうは立春だけれども雲が多く冬の空気である。

無事にドラッグストアを出たあとは、次にどの方向へむかうかを夫に決めてもらった。

進んでいくと、小さなパン屋さんがあった。開店したばかりの時間なのに店内は混雑している。2つ購入。

たまにはいつもとはちがう道を歩いてみるのもいいねと話しながら帰宅する。

来る日も来る日もこうして散歩をしてきた。

2022年の冬から春にかけて私の強迫症の症状が強まってきたときも、行けなくなるギリギリまで散歩をした。当時は散歩中に出くわすいろいろなものが気になり出し、しだいに困難になっていったが、そんな状態の私にも夫はつき合ってくれた。

逆に、夫のうつ状態が思わしくなく、いまにも泣き出しそうな顔をしながらも散歩には行くという夫の手を引きながらゆっくりと歩いた日もある。

 

ひとりで歩くときは、草花や木や鳥や空をゆっくりと見ながら、歩いたり立ち止まったりしながら散歩をする。

ふたりで歩くときは、ずっとしゃべり続けているときもあるし、ほとんどしゃべらないときもある。でも、ひとりで歩くときと同じように、草花や木や鳥を見つけたときや、すてきだな、初めて見たなと思う風景を見つけたときには夫に報告する。ひとりで自由気ままにする散歩も好きだけれど、報告できる人が隣にいるというのはうれしいことだ。

きょうもそんなふうに、春の近い冬の道を一緒に歩いた。

 

窓際のアマリリス、さらに上へと背を伸ばした気がする。

つぼみもこんなふうに。つぼみの子どもたちがもりもりと顔を出した!