つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

映画『サヨナラの引力』

映画『サヨナラの引力』を観た。とてもよかった!

映画『サヨナラの引力』|絶賛上映中

恋をしているときの弾むような気持ちや「相手を大切に想うほど」苦しくなっていく気持ちとか、過去の自分と重ね合わせつつ。心ゆさぶられっぱなしでボロボロ泣き…。ふたりが自分たちの過去とお互いのことを受け入れていく過程の描き方がとてもいいなと思った。「居場所」という言葉や、夢と仕事と現実、社会の構造…いろいろなことが頭に浮かんだ。
この映画は、翻訳者仲間の福留友子さんが字幕をご担当なさいました。ご本人による紹介の言葉をここにも書きたいと思う(いいですよと快く言ってくださったので!)
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ジャンルは「恋愛映画」ですが、それだけでは収まりきらない「成長の物語」であり、「究極のケアの物語」でもあると思います。無力な者同士のケアが悲劇を招き、10年後の再会によって、彼らは過去の自分たちをもう一度ケアし直していく。「あのとき、もしもああしていたら……」という呪縛から、少しずつ解き放たれていく映画です。
『82年生まれ、キム・ジヨン』のキム・ドヨン監督らしい、女性を「自己実現か、恋愛(結婚)か」の二択に閉じ込めない眼差しにも惹かれました。
ぜひ劇場でご覧ください。「光」に注目していただくと、より深く味わえるかもしれません。
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実は映画を見慣れていない私(映画館にちょこちょこ行くようになったのはつい最近のこと。これまである事情から行くのを控えていた)。それなのに『サヨナラの引力』では、約2時間映画の世界に没入していた。まさに、どこまでも自然で翻訳であることをまったく感じさせない、なんでもないようでいてとても素晴らしい字幕の力が私をそうさせたのだ。
私は字幕翻訳をやったことがない(私が対応する動画の翻訳は企業紹介や研修用動画のスプリクトなどで、「字幕」として仕上げなくてはならないものを担当したことはない。感情や何らかの気持ちが込められた文章の翻訳もほとんどやったことがない
)、だからその難しさは想像することしかできないけど、本当にすごいことだ!と尊敬の気持ちでいっぱいである。そして、さまざまな国の映画をこうやって楽しめることのありがたみをかみしめるのだった。


気になった方はぜひ劇場へ!

国会前「めちゃくちゃな政治に抗議します」(デモの連帯アクションへ)

平和活動を続けている。
先日は国会前デモ「めちゃくちゃな政治に抗議」の連帯アクションで近場の駅へ。最近、ほんとにめちゃくちゃだけど、こういう場に足を運び皆さんと一緒に活動すると少しほっとする。くたびれるけど…(私はあまり大声でコールするのは得意ではなく、リズムに乗りながら小さくコールしたりペンライト振ったりしつつほぼ立ってるだけだし、短時間だけど、たぶん皆さんの思いや願いの渦のなかに、そのひとりとしでいるだけでもすごいエネルギー使ってる)。
若い人が増えましたねーという声があり、それはとても嬉しいことだなと思う。
3月からこれまで、国会議事堂に1回、近場の駅に6回、憲法集会に1回行った。近場だと毎回のように顔を合わせる方もいる。頑張りましょうね、と声を掛け合う。現地で顔を合わせて互いにほっとするような、そういう距離感が心地よく、心強い。
翻訳者デモチームの皆さんとも、日々(文字で)交流している。デモやアクションのある日はそれぞれがそれぞれの行動をする前やあとに報告しあったり、何でもない日でも情報交換したり意見を交わしたりもする。
国内外がいろいろめちゃくちゃな状況で最近は不安や怒りだらけだけど、こうやってつながっていてくれる人がいること、同じような思いをもって活動している人がいるということが、私にとってとても心強く、ありがたいと思う。これからも、できる範囲で、できることを粘り強く頑張っていこう。
以下、ぜひご覧になってみてください。

高市政権の「めちゃくちゃな政治に抗議」…改憲阻止や戦争反対を訴え、幅広い世代が国会前でデモ:東京新聞デジタル

「めちゃくちゃな政治に抗議します」 国会前でデモ、2万7千人集う [東京都]:朝日新聞

「めちゃくちゃな政治に抗議」 国会前デモに2万7000人 | 毎日新聞

あんこLOVE

あん(あんこ)が好きすぎる。

もともと和菓子全般が大好きなのだが、なかでも私のあん好き度は群を抜いている。

小豆あん、白あん、桜あん、芋あん、うぐいすあん、どれもいい。

あんぱん、大福、よもぎ餅、桜餅、羊羹に水ようかん、どら焼き、大判焼き、生八つ橋に…挙げればキリがない。

ところで、埼玉の北部に住んでいたとき、「あんびん餅」なるものが売っていた。見た目は大福、中身も小豆あん。ただしそのあんは甘くはない。塩味だ。

私は、埼玉県で初めて出会ったこのあんびん餅にもすっかり心を奪われ、甘くないあんの新鮮さや奥深さに感動していた。

どうやら自分は、「あん」といっても、砂糖の入った甘いのにかぎらず好きらしい、ということに、そのとき初めて気づいた。ということはだな…、要するに、「あん」に生まれ変わる前のもの、つまり小豆をはじめとするお豆やお芋そのものが好きだってことじゃないだろうか(餃子やおやきのあんとか、あんかけ焼きそばのあんとか、そういうのは別ね。まあそれも好きといえば好きなのだが)。


そういうわけで、私は時々、小豆を買う。


そして、時々、自分のために自分の好みの甘さのあんこを炊く(甘すぎない、砂糖少なめのあんこがいい)。

 

あるとき、余った小豆で赤飯を(初めて)炊いてみようと考えた。
ただ、わざわざもち米を用意しなくても、家にあるものを使えばいっかと思い、うるち米で炊くことに。

レシピはもち米で炊く通常の赤飯を参考に。

いつもご飯は圧力鍋で炊くのだが、赤飯の場合はさらにメリットがある。圧力鍋なら、最初に小豆をゆでる工程も時短になるのだ。

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ゆでた小豆とゆで汁+水を熱いうちに米の上へのせて炊く。


圧力がかかってからわずか3分で炊きあがり!

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見た目は赤飯。しかも、うるち米なのになぜか本当の赤飯っぽくもちもちに感じられるのが不思議。赤飯だよと言って出しても、実はもち米ではなくうるち米だってこと、バレずに済むかもしれない(いや別にだますつもりはないし、バレてもいいのだが)。

ごま塩(家にある白ゴマと塩)をふりかけて頂けばまさに赤飯!

黒豆ごはんも、主に正月に黒豆を煮て余った場合などに何度か炊いてるけど、なかなか良い。


これね。

あぁ…お豆のお風呂に埋もれてみたい。気持ちよさそうじゃない?(でもいくら好きとはいえ、あんのお風呂はちょっとイヤかも)


以前、すごくたくさんの種類のあんを開発してる会社がテレビで紹介されていて、あぁ、生まれ変わったらこの会社に勤めよう!と心に決めたのだった。

(いまちょっと検索してみたら、この会社↓ ではなかろうかと。製品登録数なんと1000種類を超えるとか!) 

製品開発 - 【餡の橋本】橋本食糧工業株式会社

奈良と京都、おまけで岐阜東濃への旅 ~その3、岐阜東濃(実家)~

前回(その2)のつづき。

え?その2って何?というほどに時間が経っていた。その2を書いたのは約2ヵ月半前。しかもこの旅に出かけたのは3月の終わり。

写真を頼りに、憶えてることを書いてみよう~というノリで記録してみる。このままその3を書かなければ終わりなき旅になってしまうので(それもまたよし、だったりして)。

一応自分のためにも復習しておくと、その1には、旅の1日目に高校時代の友人と奈良で時間を過ごしたことを、その2には、2日目に医薬翻訳の仕事仲間で新たにインバウンドガイドの仕事も始めた方に京都の街を案内してもらい、新幹線の改札でお別れするところまでを、以下の2記事にまとめた。

*つづき*

涙のお別れをして(心の中でね)、京都をあとにした私。新幹線で名古屋まで行き、そこから電車を乗り継いで最寄り駅に到着。駅までは会社から帰宅した姉(+母付き)が迎えに来てくれた。たしかスーパーに寄って帰宅したと思う。

そして翌朝を迎えた。その日はまる1日、ここでゆっくり過ごすことにしてある。

姉と母と私でカラオケやお気に入りのカフェに行くとかいう話も出たけれど、今回はちょっと姉がいそがしい感じだったので(でも会社が休みになるよう調整してくれていた)、母と出かけることに。姉が、送り迎えは私がしてやるからふたりで行ってこやーと。


(田舎の線路沿いにたくましく咲くたんぽぽ)

多治見駅で見たききょうバス。多治見のゆるキャラであるうながっぱ(やなせたかしさん作)のデザイン、ピンクと


青を見ることができた。ほかの色もあるらしい。

駅からは徒歩でお気に入りの本屋さん+カフェへ。


ゆく道には素敵な陶器のタイル(PR:多治見は陶器の街。美濃焼をよろしくお願いします☆)


ひらく本屋 東文堂書店。

「東文堂書店」は古くからある市民おなじみの本屋さん。現在は新しい形態に生まれ変わっている。どんな感じかはよろしければこちらを~ ひらく本屋 | ヒラクビル


まずは1階の喫茶で休憩。

お昼は別のお店でとる予定なので、ここではシンプルに飲み物だけを。
母はコーヒー、私はチャイラテ(これだけでおなかいっぱいになるほどたっぷり)。クッキーが添えられているのがうれしい。


そのあと心ゆくまで本屋さんをぐるぐる。
この2冊を購入した。

『詩集 ことばのきせき』若松英輔(亜紀書房)、『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』松本俊彦、横道誠(太田出版)。まだ読みかけだけど、どちらもとてもいい! 機会があればまた紹介したい。

 

そのあとうなぎを食べに行った。多治見は実はうなぎやさんが多いのね。
今回は「うな千」さんへ。多治見育ちなのに、ここに書いてあるお店、どこも行ったことがなかった!

私はうなぎ3切れごはん小盛り(だったと思う)。母はたしか、ひつまぶしをもりもり食べていたと思う。歳をとっても相変わらずよく食べる。食欲旺盛なのはよいこと!
平日の昼、お店はとてもにぎわっている。めちゃくちゃおいしいうな丼だった。

その夜は、京都で購入した生麩をさっそく調理してみんなで食べ(焼いてみた)、翌日、関東に戻ったのだった。

(おわり)

そういえば、この旅の始まり、ほんとに始まり(キャリーケースを持ち上げながら住居の階段を下りきったところ)で、いきなりそのキャリーケースがバーンと地面に落ちた。ゴム製の取っ手が突然ちぎれたのだった。その気配なんてまったくなかったのに突然だよ! でも電車の時間もあるし仕方なくそのまま出発。旅行中はできるかぎりエレベーターを利用するか(そこで私は、車椅子を使用している方や体が不自由な方などが、常にエレベーターを探したりわざわざエレベーターまで遠回りしなくてはならない必要性と手間、そこにたどり着くまでの苦労の一部をほんの少しだけ知ったのだった)、キャリーケースを抱きかかえるかして移動したのだった。

 

お読みくださりありがとうございました!

思い出すこと 入院シリーズ その2(いきなりシリーズ化。その2で終わるかもしれないけど…)

頻繁に会ったり話したりするわけじゃなくても、もう二度とやりとりすることはないのだとしても、心の中にずっとその人がいてくれたり、その人がくれた言葉をしまっておいたりして、それが生きていく支えになっている、ということがある。私にはそういう人がたくさいんいる。

この前少し書いた精神科病院の入院中にもそういう人たちに出会った。
私が入院した病院は、看護師さんも看護助手さんも先生も患者に対してとても親身に考えてくださる人がほとんどで、その点ではとても恵まれていた。さらに、幸いにも、入院中に素敵な患者仲間に出会うこともできた。
そのなかでも特に3名の方が、いまも私の心の支えになってくれている。

私の入った病棟には看護師さんが20名ほどいらっしゃって、本当に、天使のようにめちゃくちゃ優しい人がたくさんいた。
Sさんは、そういう「めちゃくちゃ優しい」感じではなかったけれど、少し離れたところから、温かい目でずっと見守っていてくださっていた。「ここに来たばかりのころは険しい顔をしてたけど、最近は随分と表情がやわらかくなりましたね」などの言葉は、私のことちゃんと見ててくれるんだなってことがわかってとてもうれしかった。
最後にかけてくださった言葉も心の中にしまってあって、少し落ち込んだときなどに取り出してかみしめている。「ここにいる間、本当に頑張りましたね。これからも、つまずいたときには私たちのことや先生と一緒に治療を頑張ったことを思い出して進んでいってください」。

看護助手さんは3名いらっしゃって、お掃除や身の回りのお世話をしてくださった。
Tさんの笑顔にはいつも救われた。いつ見ても笑顔、患者に接するときはいつでもどんなときでも100%笑顔で、その笑顔も中途半端なものではなく120%の笑顔だった。病院食を手渡してくれる人がTさんだと、私も自然に心からにっこりすることができた。まるで真っ白な百合の花のような人だった(お別れの日、いつもあなたの笑顔に救われていました、とお伝えしたら、「そんなふうにほめても何も出ませんよ~」といつもの笑顔でアハハと笑ってくださり、ちょっとおちゃめなTさんも見れた)。

同じ時期に病棟にいたIさん。彼女は誰にでも気配りできる素敵な女性だった。入院2日目、私が不安を抱えながら病棟内を見学していると、「何かわからないことがあったら聞いてくださいね」と声をかけてくださったし、作業療法の掲示を見て参加を迷っていたときも「私は刺し子をやっています。9時半にここに来たらいいですよ」と。

いろいろと話をしながら、よく一緒に病棟内を散歩したりもした(病棟はナースステーションを中心に環状になっており、みんな運動不足解消のためにしょっちゅうぐるぐると歩いていた)。

あるとき「皆さんに自然に気遣いができるIさんはとても素敵です」と言ったら、「私もはじめ皆さんにすごく助けてもらったし、いまも助けてもらっているから。つくしさんにもとても助けられています」と返ってきた。感謝の心を忘れず、しかも、入院するほどの症状を抱えながら自分も力になろうと心配りをする。本当に素敵な人だなと思った。患者同士で連絡先の交換をすることは禁じられていたので、どこかで偶然出くわさない限り、もうIさんとやりとりすることはないと思う。でも彼女はずっと私の心の中にいてくれる。いま、どうしているかな。

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思い出すこと ~ネジバナとクチナシ~

散歩道でネジバナとクチナシを見つけた。この花を見ると思い出すことがある。

ちょうど4年前のいまごろ、私は精神科病院に入院していた。
大きな窓から光が差し込む明るい病室だったが、その窓はせいぜい5 cmほどしか開けられないようになっており、天井には360度撮影可能な監視カメラが設置されていた。着替えはもちろん、薬の副作用で排便がうまくいかなくなったときに浣腸してもらったのも、24時間稼働しているそのカメラの下だった。
入院から数日間は病棟(建物)から出てはいけない決まりがあった。主治医の判断により、私の場合は、のちに(それほど広くはない)病院敷地内に出てもよいことになり、さらに入院30日目には指定の場所(病院から歩いて15分程度のコンビニ)に限り、胸に入院患者であることを示すバッジをつけた上で行くことを許された。
初めてコンビニに出かけた日。1ヵ月ぶりに見る自然の景色は、私の目にはあまりにもまぶしく映り、世界はなんて美しいのだろうかと本気で感動して涙が出た。当時の日記には「あじさい、イチョウ(の緑の葉っぱ)、あやめのつぼみ、もんしろちょう、あしながばち。緑が濃い」と書いてある。

病院の敷地内でネジバナを見つけたのも、ちょうど4年前のいまごろだった。それは緑色のクローバーに交じってあちこちににょきにょきと突き出して咲いており、閉ざされた院内での生活と私の心に優しい明かりを灯してくれたのだった。

写真の説明はありません。

元夫(この前と同じく仮にPとします)は、2週間に1度くらいの頻度で面会に来てくれた。コロナ禍だったため建物の外で15分までと決められていたが、私にとっては心をゆるせる人であるPと対面で会話できる唯一の時間だった。

「薫(かおる)、咲いたよ」と見せてくれたのは、当時Pと一緒に育てていた盆栽のクチナシの写真だった(ふたりで「薫」という名前をつけたのだ。ちなみにお姉さんの梅子[長寿梅]も育てていた)。A4の大きな写真用プリント用紙に、可憐な白い花が咲いているのが写っていた。私に見せようと、わざわざもってきてくれたPの優しさが心からうれしかったし、見事に成長して花を咲かせてくれた薫にもとても勇気づけられた。

デビルウッド、花の画像のようです

ネジバナやクチナシをみると当時のことを思い出すのは、このためだ。

6月の平和活動(6月22日現在)

この6月は現時点で、ひとつ、戦争反対のペンライトアクションに参加した。都心からうんと離れた駅に600人以上の人が集まり、私はそのひとりになった。とても熱くて暑い夜だった。

19日は「NO WAR!憲法変えるな!国会正門前大行動」が開催された。ここには行けなかったけれど、自分も混ぜてもらっている翻訳者チーム&執筆者チーム(合同デモチーム)の皆さんをはじめ、計26000人の方々が国会前に足を運んで行動してくださった。全国では現時点で計316ヵ所、36327人の参加が確認されているようだ→デモカレンダー(https://democalendar.jp/nowar0619.php)。

その日の国会前の様子は、あとからデモ全体の動画を視聴した。
その全体の動画の一部として編集されている17歳高校生のスピーチ。
よかったらご覧になってみてください (↓一番下の動画)。
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ぼくは、もうすぐ18歳になります。成人になります。
改憲されてしまったら、戦争が始まったら
徴兵されてしまうかもしれない。
怖いです。嫌です。そんなの行きたくないです。
誰のことも殺したくないし、まだ死にたくない。
ぼく自身、やっと少し、自分の未来が見えてきたところなんです。やりたいことがあるんです。なりたいものがあるんです。
未来を歩むためには、平和が不可欠なんです。
おとなの皆さん、
政治に、ご自身の生活に、関心をもってください。知ってください。そして声を上げてください。
政治家の皆さん、
子どもに、ぼくたちに、
「こんな世界で成人しても大丈夫だろうか」と思わせないでください。「おとなになること」を怖がらせないでください。
安全な社会で、安心して大人になりたい。
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これを聞いたとき、高校生がおとなに向かってこんなにも切実に訴えなくてはならないような社会にしてしまったおとなのひとりとして、ものすごい責任を感じた。社会や政治への関心が薄く、そのおかしさに積極的に気づこうとすらしてこなかったこれまでの自分を猛烈に恥じた。子どもたちにこんな思いをさせてしまった、「こんな世界」「おとなになることが怖い」と言わせてしまったことを。

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これからも、粘り強く声を上げ続けていく。