つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

これが私の人生、なのかもしれない

早くも、10月も2週間が経とうとしている。

朝、徒歩10分程度のところにある図書館に行きすこし遠回りをして帰ってきたのだが、10月もまもなく半ばだというのに、汗を拭くためハンカチを取り出さなくてはならなかった。

秋はたしかにここにいるのだが、日射しは強く、まだ夏が未練がましくそこらをうろうろしているかのようだ。

私のほうは、9月とはきっぱりさよならしてこの10月を過ごしている。

以前の記事に少し書いたが、9月は少し仕事のやり方を変えた。でも半月ほどで元のやり方に戻すことになった。短期間ながら心身ともに思いのほかダメージを受けたため1週間ほどの回復期間を設ける必要があったが、そのあとは徐々に取り戻してそのまま10月に突入。

さらに調子が出てきて、もはや現在は、以前よりも調子がよい。

9月に仕事のやり方を一定期間変えたことによって、ある程度の傷は負ったもののそれ以上の健康を手に入れた、ということだろうか。

傷が教えてくれたもの、

それは、「自分が望む仕事のやり方」。

それが明確になったのだ。

 

自分が望むやり方で仕事をする、というのは、自分が大切にしていることを貫き通すということでもある。優先順位も明確になり、それを守ることによって、お付き合いを深めたい取引先からの仕事が増え、自分の興味ある仕事、面白い仕事が集まってくるようになり始めている。そして、これまでとは少しだけ異なる私の興味ある方面の仕事を受注できそうな予感も(9月に受けたトライアルに合格して新しい取引先との契約を結ぶことができた)。

 

やってみては、やめる。また次のことをやってみたくなり、やってみて、またやめる。

その繰り返しの人生で、転職回数も(ここに書くのを憚られるほど)多く、それを恥だと思って生きている。周りにも迷惑ばかりかけてきた(その点は深く反省しているし、これからも十分に気をつけなくてはならないと思っている)。

でも、よく言えばあきらめがよいこの人生。

あきらめずに続けていれば、思いもしない展開が待っていたのかもしれないが、これを繰り返してきたからこそ、いま私はここにいて、好きな翻訳の仕事を、好きなようにやることができている。この10月の新しい展開も、よく言えば、これまでにないやり方に挑戦し、早々に潔くやめたからこそ手にできたわけだ。よく言えば、ね(念押し)。

おそらく今後も、この性格上、また何かを始めては、やめ、また何かをやりたくなって…の繰り返しをしてしまうのだろう。まったく、自分にあきれてしまう。

でもこれが、これこそが、私の人生。なのかもしれない。