つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

本の読み方と生き抜く力 2冊の本から

『頭のよさは国語力で決まる』(齋藤孝)は、本屋さんのレジ待ちをしていたときに目の前の平台に陳列されていたのを、「国語力」という言葉に反応して手に取り気づいたらレジで支払いを済ませていた。衝動買い。齋藤孝先生の本は好きですでに家にも何冊かある。やはり私は、本でも食品でも衣服でも雑貨でも、ものを買うときはつい好みのものばかり手にしてしまう傾向があるな。

一方、『忘れる読書』(落合陽一)は、以前新聞で紹介されているのを見て気になり図書館で予約しておいたもの。

『頭のよさは国語力で決まる』には、読解力をはじめ文章力、対話力、自己肯定力など生きるためのさまざまな力を向上させる方法が書かれており、大変参考になった。どれも私に足りない力、つけたい力である。ふだん自分が自ら選んで使用している言葉がいかに単純で深みのないものであるのかとか、自分のものの考え方がいかに浅いかなどを改めて突きつけられ恥ずかしくなった。言葉はコミュニケーションの道具だから、国語力とは人間関係を築く力、まさに生きる力に直結するものである。本の題名「頭のよさ」とは、言い換えれば生きる力ってことか…と思いながら読む。

一方、『忘れる読書』のほうだが、私が想像していた内容とはちがっていた。
自分の場合、本の(小説でもなんでも)読んだ内容をすぐに忘れてしまう。本は毎日寝る前に少しずつ読むことが多いが、前日に読んだ箇所の内容や登場人物さえ一晩寝ると忘れてしまい、戻って復習してから読むためになかなか進まない。

『忘れる読書』の「忘れる」は、そういうことではない。もっと別の深い意味が込められていた(そりゃそうか)。著者は「読んだ内容を細かく思い出せるうちは、単に著者の主張を頭の中でリピートしているだけで、それは自分の頭の中に『入った』とは言えない」(p.55)のだと述べている。「得た知識が何となく頭の片隅に残っていて、いくつもの概念が溶け出して混ざり合っていくような感覚」(p.56)を得て、「頭の中で混ざり合っているからこそ、新たな閃きが降りてくる」(p.57)のだという。

また著者は、本物の教養とは「抽象度の高いことを考える力」と「知識と知識をつなぎ合わせる力」、つまり「自分でストーリーを練り上げる力」(p.34)であると書いている。

ここで『頭のよさは国語力で決まる』に記載されていた「客観的な要約力」(p.28)、「本を読んでいる人の話には脈絡があり、本を読んでいない人の話は脈絡なく進んでいくことが多い」(p.29)という部分が思い起こされた。落合先生の「知識と知識をつなぎ合わせ」「抽象度の高いことを考え」「自分でストーリーを練り上げる力」とは、齋藤先生のいう「客観的な要約力」「脈略がある」ことだともいえるのではないかということに気づいたのだ。

別の言葉で言えば、本から得た知識を「自分のものにする」、複数の本から得たそれぞれの知識やすでに自分が持っている知識をつなぎ合わせて「自分の言葉で人に語れる、説明できる」、さらには「新しい考えを生み出す」力なのではないかと思う。

(自分はまさにこのような力が弱く、拙い言葉でしか語れないので鍛えたい)。

ちなみに両氏の本の読み進め方には異なる部分(文章に傍線を引きながら読むかどうかなど)もあり、それぞれ独自の方法があるのだな、なるほどこんな読み方もあるのかと驚かされた。私もこれを参考にして自分に合う読み方を研究しつつ、今後も数々の本との出合いを大切にしながら、生き抜く力を高めていきたい。