先日、外出が不安であるという記事を書いた。片道1時間以上電車に乗っていなくてはならない移動で、私にとってはちょっとした「旅」である。
昨日、無事にそれを終えてきた。
出かける直前までそれはもう緊張してしかたがなかったが、行くのをやめるという選択肢は浮かばなかった。
帰りは電車でひと駅進んだところで、人身事故のためなんと運転見合わせ。30分ほど車内での待機を余儀なくされ不安が膨らんだが、本を読むなどして心を落ち着かせて乗り切り、(徒歩の時間も含め)2時間以上かかったが無事に帰宅。思いがけない事態に遭遇しつつも無事に「旅」を終えることができ、少しだけ自信になった。
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私がお世話になっているカウンセラーさんが企画、進行をするもので、行くのは2回目である。前回はかなり緊張して(もともと人前で話すのが超苦手)、声も体もがくがく震えて話したいことも話せなかったが、今回は、前回よりかはましだった。
強迫症といっても本当に症状はさまざまで、それぞれの苦しみがあるのだということを再認識する。ただ、強迫症の根っこの部分はみな同じなので、体験や治療法を共有して互いに学び合うことは大変価値がある。当事者同士なら強迫症の人がもつ独特の感覚や苦しみをわかり合える部分もあり、力をもらった。
ほかの病気や障害についてもきっと同じではないかと思う。
がん患者さんの闘病の苦しみは、知ろう、わかろうとすることはできても、実際のところは私にはわからない。同じ精神疾患でも、強迫症以外の人の苦悩は私とはまた異なるものであろう。多種多様な病気や障害があって、その人にしかわからない苦しみがある。
以前、自分の強迫症のことを人(強迫症ではない人)に話したときに、私を責め人格を否定するようなことを言われて深く傷ついた経験がある。傷ついたというか驚いたというか。強迫症のことを理解してくれとは言わないが、病気のせいでそうならざるをえない状況を否定され、気持ちの問題だという意味のことを言われると、だったらあなたも私と同じ症状を一度体験してみてよ!と言いたくなる。
せめて自分は、どんな病気や障害の人に対しても、その人にしかない苦しみを理解することはできなくても、相手の言葉や状況をまずは受け入れ、わかろうとする姿勢は忘れないでいたいと思う。
話はそれたが、きのうはそんなこんなでくたくたになった。でも、恐怖や不安があるなかで目標を達成した自分にバンザイ! 今後も「旅」を計画して、外出に対する恐怖を少しずつ和らげていけるといい。
患者会を企画してくれたカウンセラーの先生と、出会えた人たちに感謝。