つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

翻訳のセミナー(鴻巣友季子先生)

きのうは翻訳者団体のオンラインセミナーがあって、翻訳家、文芸評論家の鴻巣友季子先生の講義「翻訳ってなんだろう? AI時代に考える」を視聴した。鴻巣友季子先生はテレビで何度か拝見したことがあったが、オンラインで拝見するのは初めてで、このような言い方は恐縮であるが「つながっている」感覚、「近い」感覚がうれしかった。

(資料や講演の書きおこしをこのような場に投稿するのは避けてくださいとのご指示があったが、感想や、このようなお話があった、ということなら書いていただいていいですよ、とのことなので、こうして少しだけ書いている。自分のメモと解釈をもとに書いているため、先生が実際に講義で使用した言葉や内容とずれがあるかもしれません。お許しください)。

1時間半のセミナーだったが楽しくてあっという間で、もっと先生のお話を伺ってみたいと思った。

内容は、外国で日本文学がいまどのように受け入れられているかというお話から始まって、翻訳の忠実性と透明性(翻訳者はそのあいだを行き来しながら悩む)、意味ではなく意図をよむこと、翻訳と音楽は似ている、英語は機能語で日本語は内容語、などなど、具体例を挙げながらわかりやすくお話してくださり、大変楽しく視聴することができた。

なかでも一番印象に残ったお話は、ともぐいの話。AIってそもそも私たちが書いた言葉を学習してそれを吐き出しているわけで→それを私たちが使う→それをまたAIが食べる→それをまた私たちが…というように、繰り返すわけだ。先生はそのために言葉が薄っぺらくなっていくのではないか(←実際の表現は異なるかもしれません)、とおっしゃっていた。これは少し恐ろしいというかさみしいことだな、と思う。この先、AIがこれまで以上に活用されていくのは間違いないことを考えると、人の心の中にある生きた言葉がとても貴重なものに思えてくる。言葉が薄っぺらくなっていくのを食い止めるために、言葉を扱う仕事をしている私たちにできることはあるのではないかと思う。

AIについては自分も思うことがいろいろあって現在はきちんと向き合うことができていない部分があるが(相手のことをあまりよく知らないくせに遠ざけているような感じ)、今後どのように向き合っていくのか、きのうのセミナーの内容を含めて考えていきたい。まずは相手を知ることからかな。

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鴻巣友季子先生の著書。

これは、鴻巣先生が小学校で翻訳のワークショップを実施したときのことをとりいれて書かれている。まるで自分も、目をきらきらさせながら学ぶ小学生になったような気持ちになって拝読した。(私は通常、人に何かをおすすめすることはあまりしないのだが)この本は、翻訳に興味があるかたにも、そうでもないかたにも、ぜひ読んでほしい!と思った。とてもあたたかで楽しく、私のお気に入りである。