つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

帰省、5年半ぶりの5日間 (1) 帰宅

仕事を5日間お休みにして実家に帰っていた。

帰省するのは2018年10月以来なので、実に5年半ぶり。

もともとそれほど頻繁に実家に帰るほうではないのに加えて、コロナの流行や強迫症の発症など移動を妨げる出来事が立て続けに起こったため、気づけば思った以上に長い時間が経過していた。というわけで、超ひさびさに帰省した5日間のことをここに記録しておこうと思う。

5日間の流れは以下のとおり。

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1日目、移動日(徒歩→普通列車→新幹線→普通列車→車で片道約5時間)
2日目、大学時代の友人と母校を散歩
3日目、中学時代の友人の家を訪問
4日目、姉、母と外出(カラオケ、カフェ、散歩など)
5日目、移動日

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1日目。

お昼ごろに自宅を出る。

少し雨がぱらついていたが、ぬれた傘を持ち歩くのが面倒なので傘をささずに最寄り駅まで歩く。電車を乗り継いで品川駅へ。乗車予定の新幹線の発車時刻よりも35分ほど早く到着。新幹線の改札から入場したあと、トイレに行っておく(これは、強迫症[不潔恐怖]が完治していない私にとっての難関その1。大きなボストンバックとリュックを抱えていたので不安だったが、ほぼ難なくクリア。JRの駅は通常、ハンドソープが設置されていないのだが、新幹線利用者用のトイレは例外のようでありがたかった)

新幹線は予定時刻より5分ほど遅れて品川駅を出発(新幹線への乗車、強迫症[不潔恐怖]が完治していない私にとっての難関その2。窓が開かない状態の空間に長時間滞在するのに不安があったが、乗ってみればそれほどでもない、というかもう開き直るしかない)

途中、富士山(少し悪天候だったが頭だけ見えた)や茶畑、田園、連なる山々の風景などを楽しんでいるとあっという間に名古屋駅に到着。

そのまま別のホームへ向かい、名古屋からさらに普通列車にゆられて約40分。到着した駅までは母に車で迎えに来てもらい、17:00ころに実家着。

5年半ぶりの母と父そして姉。
5年半ぶりの我が家。

それほど変わっていないようでありながら、父用に介護用ベッドが導入されていたり杖が置いてあったりする。短いように思えた5年半。でも実際には長い時間が経過しており、確実に変化したことが目の前にある。

夕飯は、姉作の厚揚げの煮物と父作の魚の煮つけを頂いた。

ゆるキャラのうながっぱ(やなせたかしさんのデザイン)です♡ どうぞよろしくね。

卒業

「卒業」というタイトルで書くには少し遅すぎるけれど、この春、私はあることから卒業した。

そのあることとは、強迫症(不潔恐怖)の行動療法である。

薬物療法は現在も続けているが、行動療法はひとまず終了してもよいと思われる程度の状態まで、症状が回復したということである。

強迫症を発症したのが2022年1月頃。
症状が悪化して入院していた期間は2022年5月~6月。
症状が落ち着いて行動療法を終了したのが2024年3月。

入院時の様子や治療については以前、こちら(旧ブログ)にまとめたことがあるので、今回は退院後の行動療法による治療について、どのような方法でどのように改善したのか少しまとめようと思う。

お世話になったのはOCDサポート さん。

カウンセリングはオンラインで。修了時にカウンセラーさんがまとめてくださった記録によると、この約2年間で35回の面談を受けている。

以下、まとめ。

入院前:自宅でほぼ動けない(壁さえ怖い)ところまで悪化
退院後:動けるようにはなったが、依然として日常生活でいろいろと支障のある状態→この状態でカウンセラーさんによる行動療法を本格的に開始

<行動療法でできるようになったこと>
(すべて「ウイルスや菌がついているかも」という恐怖からできなかったことです)
・買ってきた商品に普通にさわれるようになった
・手づかみで食べられるようになった
・図書館で本を借りられるようになった(症状がひどい時期は建物に近づくことさえできなかった)
・ドラッグストアや薬局に行けるようになった&商品にさわれるようになった
・新聞や郵便物、宅配便のダンボールとその中身をさわれるようになった
・生野菜や生ものを食べられるようになった
・外のトイレを使用できるようになった
・クリーニングで衣類の受け渡しができるようになった
・外食できるようになった(手づかみも含めて)
・恐ろしい(と思って避けていた)ものを見てもあまり取り乱さないようになった
・肉や魚に火を通しすぎず、ほぼ適度な状態で火を止められるようになった

などなど…

<OCDサポートを利用してよかったと思う点>(あくまで私の感想です)
・オンラインでも面談可(恐怖で外に出られなかったため助かる)
・個々に合わせた治療(最初の数回は、病気の重症度や患者の性質などを、面談や、精神科領域の数種類の質問票を使用してカウンセラーさんがかなり細かいところまでチェック。多少時間はかかるが、自分の特徴をさまざまな側面から把握してくださったうえで治療を開始してもらえるので安心)
・行動療法は、カウンセラーさんが一緒にやってくれることがある
・カウンセラーさんが優しく、かなり親身になって話を聞いてくれる
・必要に応じて行動療法以外の方法も使用
・料金設定が良心的(「1時間〇〇円」などではなく、毎回、かかった時間のぶんだけ5分単位で料金が計算されるので、短時間のときは料金が安くなる)
患者会、家族会などの開催もある(これは、OCDサポートの治療を受けていなくても参加可能)

などなど…

強迫症に対する曝露療法の場合、その都度カウンセラーさんと相談してハードルの低いものから順に行うため(例えば、私の「図書館の本を借りる」という課題なら、まず図書館に入る→棚にさわる→さわれそうな本にさわる→借りる→ハードルの高い本も借りる、などというように)、課題に取り組みやすかった。

また、「手づかみで食べる」などは一人ではなかなかうまくいかなかったため、カウンセラーさんが(画面越しに)見守るなかでやってみたところ、途端にうまくいくようになった。

このように、私の行動療法はこのカウンセラーさんとともにあり、本当に力をいただいた。治療がうまくいくかどうかは、カウンセラーさんとの相性も大切だと思う。ちなみに私はこのカウンセラーさんは3人目だ。見つけることができて本当によかったと思っている。出会えたこと、親身になって治療を続けてくださったことに心から感謝している。

カウンセラーさんに教えていただいたことを引き続き実践し、さらに過ごしやすくなるよう努め、薬を減らしてもやめても問題ないところまでもっていきたい。

うちには、もう一人、あることから卒業した人がいて、3月末にこのお花を持ち帰ってきた。

現在ではユリが大きくひらき部屋中にその香りがただよい、卒業を祝うとともに新しい門出を応援してくれているかのようである。

翻訳のウェビナーとトーキョーツキイチMTG

午後からウェビナーを視聴した。

少し前に入会した翻訳者団体が主催するもので、今回は出版翻訳にかかわるお話だった。私は産業翻訳者なので自分には関係のないトピックである。参加してもよいのだろうかという気持ちもあったが、本とその周辺の話には興味があるので、おじゃまします、という気持ちで視聴させてもらった。普段、こんな話を聞ける機会はない。貴重なお話が盛りだくさんで楽しく学ばせてもらった。スピーカーの方々、企画してくださった方々に感謝している。

続いて、トーキョーツキイチMTG (ミーティング)を視聴した。こちらはテレビ番組で、普段は少し大っぴらには話しにくいテーマを含め、仲間とあれこれ語り合おうという雑談バラエティーである。前々回から観るようになったのだが、前回のテーマは「更年期」、前々回のテーマは「生理」、今回(きょうの深夜に放送)のテーマは「膣トレ」といった感じ。

前回の「更年期」の録画を観ようとしたら、録画されていることを確認したはずなのにいつの間にか消えていた。間違って消してしまったのだろうか…仕方ない、と思いつつ、きょうの朝、一応夫にも尋ねてみたところ、「あぁ、あれ消しちゃった。長谷川京子だから関係ないと思って。ごめん」と。あぁ、残念。更年期は特に興味あるテーマだから(なぜ長谷川京子だったから私には関係ないと思ったのかは不明)。

翻訳のウェビナーの視聴を終えたあと、トーキョーツキイチMTGの更年期の放送回について何か少しでも情報があればと思いホームページを確認したところ、なんと!TVerで無料で視聴できることがわかった。しかも、配信はきょうの深夜まで。素晴らしいタイミング。

というわけで、無事に「更年期」の放送回を観ることができたのだった。

MTGには、いつものメンバーに加えて、テレビや雑誌でよく見かける産婦人科医、高尾美穂先生がいらっしゃって心強かった。多種多様な症状や対処法、重くなりやすい人などの情報が得られた。

不調や病気に関する話は暗くなりがちだけど、こんなふうに明るくざっくばらんに仲間(専門家もいれば最高)と語り合える機会があれば、不調もなんとか乗り越えられるかもしれないと、この番組を観て思う。もちろん、更年期症状もそれ以外の不調も人によって程度や現れ方はさまざまだから、その点には気をつけたい。

ちなみに私は45歳(長谷川京子さんと同じだということがわかった!)で、最近、「もしや更年期の症状?」かと疑いたくなる体の変化を実際に感じている。その一つで最も顕著なのが、汗をかくようになったこと。しかも、「ぶわっ」と吹き出すような汗が急に大量に出る。きょうも、午前中に夫と歩いていたら急に暑くなり汗びっしょりに。帰宅して着替えなくてはならなかった。さらに、汗のなかでも最も悩ましいのが寝汗。毎日欠かさず、深夜に一度は着替えなくてはならない。パジャマも全部、びっくりするほどびっしょびしょになって目が覚めてしまうのだ。冬でも夏でも、寒い日でも暖かい日でも同じ。もしかすると薬のせいである可能性も否定できないから、(まだ先は長いが)断薬が終了するまで様子を見るしかないかなと思っているのだけど…。

このように、話し出すとあれやこれやとたくさん話したくなってしまう。同年代の同性の友人とは、これからこういう話をする機会がますます増えていくのかもしれない。

夫婦で共有することも大切である。
新婚のころ、私のPMS症状のイライラがひどかった時期があって、夫を真剣に悩ませてしまっていたらしい。夫が、年上の女性上司に「どうすればいいんですかね」と相談していたことを、ずっとあとになって知った。とても申し訳なかったと思っている(現在は、なぜかイライラの症状はあまり出ない。強迫症のために服用している薬がよい作用をもたらしているのだろうか、と思って『今日の治療薬[南江堂]』を確認したところ、適応外使用だけど「月経前不快気分障害」と書いてあった!)。

男性の更年期症状についてもお互いに理解を深める必要がある。

向かい合っていかなければならない更年期症状に対して、必要以上に不安にならず、適度に情報を収集して、ふさわしい対応をしていけたらいい。

楽しみにしているその日まで

きょうはうれしいことがあった。

2022年の初めころに発症した強迫症強迫性障害)の治療をずっと続けてきた(そしてこれからも続いていく)けれど、ひとまず、大きな節目になりそうな日、と言ってもいいんじゃないかと思う。

それから、来月にまたひとつ、楽しみなことが増えそうな予感。

行く先に楽しみなことがあると、いまを精一杯に生きようと思える。

ただ厄介なのは、最近はいろいろと調子がよいということについて、うれしいのだが同時にこわくもある、調子がよすぎて(ずっとわるかったこれまでにくらべて、だけども)。どうしてこういう考えが湧いてきてしまうのだろう…。思考の癖。

こういうときは、目の前のことを一つひとつ、丁寧にがんばるのだ(まずはきょうの夕飯の準備ね…)。楽しみにしているその日を笑顔で迎えられるように。

病院と生どら焼き

2月とさよならして3月が出迎えてくれた今週。

ありがたいことに、日常も仕事もそこそこ調子よく過ごせたと思う。

いい春を迎えられそうだという予感がある。
新しいことに挑戦する一歩手前の行動を起こす小さな計画もあるし、旅に出たいという思いも叶えられそうな気がする(旅に出たいというと大きな計画のように思われるかもしれないが、私が現時点で計画できるのはプチ旅にすぎない)。

仕事もたくさんしたいけど、趣味の時間もほしいし本も読みたいし勉強もしたい。家族や、できれば友人との時間もほしい。たぶん私は、仕事の調子がいいと(仕事が多めにあると)、なぜかほかのこともどんどんやりたくなるようだ。

いまの私は欲張りだ。
2月に29日があってよかったと思ったり、もっと時間がほしいと思ったりする。
わずか2年前は、生きることをいますぐにやめたい、どうかやめさせてくれと泣き叫んでいたくせに。

心療内科への通院も、服薬も、カウンセリングも続けている。
きょうはちょうど心療内科の受診日だった。

同じ処方。まだ薬を減らすことは難しいみたいだ。

実際、きょうはその心療内科と薬局で少し怖いと思うことがあって、アルコール消毒や手洗いの頻度が上がってしまった。「もしかしたらウイルスがついているかもしれない」と強迫症(不潔恐怖)の私に思わせるような出来事があって、病院や薬局の受付の人と処方箋などを受け渡ししたり金銭のやり取りをしたりする際に気になったり、受け取った薬にももしかしたら…などと際限なく想像して怯えたりした(平静を装っているので見た目はふつうの人です)。

現在では、そういう状況から一気に悪化することはないと思うのだけれど(私の場合は薬が効果を発揮しており、薬さえやめなければ大丈夫な感じ)、やはりちょこちょここういう状況になる。

こういうことがあってもふつうの人(強迫症ではない人)だったら気にならないよね、と思って夫に確認してみたところ、やはり、おそらく気にならないだろうとのこと。そうだよね。わかってる。

薬局を出て夫が待つショッピングセンターに行き合流する。私が心療内科に行くときはいつも、散歩がてら一緒に歩いていき、夫が近くのショッピングセンターで過ごすというパターン。ショッピングセンターでは「会津フェア」が小さく開催されていた。会津は、今回、旅に出ようと思って候補に挙げている場所の一つだ。これは何かの縁かも、こうなったら旅先は会津に決まりか!などと思う。冷蔵ケースに並べられているおいしそうな生どら焼きの生クリーム味とチーズ味を夫と私、一つずつ買い、旅の資料を頂いて帰った。ちなみに、このときもまだ「私の手は汚染されているかもしれない(アルコール消毒を念入りにしたのだけど)」と警戒しており生どら焼きにさわれなかったため、夫に購入してもらった。あー、ほんとうはダメなんだよね、こういうときこそ私がやる、ってならないと。


生どら焼きはとてもおいしかった。

強迫症(強迫性障害)、佐藤二朗さんのこと

きょう、ネットニュースで佐藤二朗さんが強迫症強迫性障害)であることを知った。

(現在の病名は「強迫症」。「強迫性障害」は以前の呼び名です。ただ、「強迫症」はまだあまり定着していない様子。私は一応言葉を扱う翻訳の仕事をしているので、このブログではいつも最初に「強迫症強迫性障害)」と書いて、それ以降は「強迫症」としています。)

news.tv-asahi.co.jp

強迫症を題材にした『memo』という映画をつくっていたことも知らなかった。観てみたいな。

強迫症、症状は多種多様で人それぞれだけど、記事にある「病。キツイ。マジでキツイ」という短い言葉に込められている強迫症独特のキツさはイヤというほどわかる。

佐藤さんの言葉「世の中で一番大事な『家族』と、世の中で一番大事な『芝居』を、絶対に、絶対に、浸食されぬよう、僕は生きるか死ぬかで、全身全霊で生きる」。私の場合はあっという間に家族を巻き込んでひどい状態に、仕事どころか何もできない、自宅で一歩も動けないような状態になってしまった。そこまで悪化した原因には、私の場合は、病院に行くこと、強迫症の薬を飲むことそのものが恐怖の対象であり、そのあまりの恐ろしさにギリギリまで行動に移さなかった点や、オンラインカウンセリングを受け行動療法を開始していたものの悪化のスピードが速すぎて追いつかなかった点がある。

だから、どうか、佐藤二朗さん含め強迫症を抱える人たちが、大事なものを守りつづけられることを切に願う。なんてえらそうに言う私も、二度とあんなふうになってたまるかという強い決意のもとで生きていく。

完治できれば何よりうれしいが、自分は難しいのかなとも思う(再発する人や完治しない人も多いが、完治した人もいる。完治した人には患者会で会えた)。

強迫観念による強迫行為(私の場合は、手を洗い続ける、病院や薬局に怖くて行けないなど)は、徐々に改善されているものの、恐怖の源(特定のウイルスや菌→それによる特定の身体症状)そのものは相変わらず恐ろしいままで、いつか「大丈夫」になるとは考えにくいためである。

それから、現在、高用量で服用している薬を減らしたり中止したりすれば、症状がどう変動するかもまだわからない(薬の効果は人それぞれだが、私の場合は運よく効果を示している様子)。

症状がある程度落ち着いたとしても、私の場合、行動療法はおそらく一生続けていかなくてはならないのではないかと思っている。つまり、一生この病とつきあっていくということ。その点で、佐藤さんがおっしゃる「病含め僕」という力強い言葉にとても勇気をもらった。

***


きょうのアマリリス。あなたは一体、この先どうなっていくんだい?

 

before(2日前)がこちら。毎日、まったくちがう姿を見せてくれる。

 

*個人的なお知らせ*
以前の記事にコメントをくださった方へ。お返事の文章を追加しました。もしまだお読みいただいていない場合、お手数ですが、よろしければ読んでいただけたらと思います。

立春の散歩

平日も休日も散歩にはほぼ必ず行く。

平日はひとりで。休日は夫とふたりで。

「行こう」とわざわざ気合いを入れなくても、「行こう」とわざわざ提案しなくても、手洗いや歯みがきなどと同じように組み込まれている日常である。散歩経路は気まぐれで、(すぐ近くにある広い公園を選ぶことが多いが)その日、その場の気分によって決める。

 

ところで、私の強迫症強迫性障害)の症状はありがたいことにいいほうへ向かっている。そのため、その良好な状態を定着させるために意識的にトレーニングの機会をさらに増やすようにしている。

そこできょうはドラッグストア(感染症の人が来店する可能性を頭に浮かべてしまうため苦手な場所)に立ち寄ることにした。

きょうは立春だけれども雲が多く冬の空気である。

無事にドラッグストアを出たあとは、次にどの方向へむかうかを夫に決めてもらった。

進んでいくと、小さなパン屋さんがあった。開店したばかりの時間なのに店内は混雑している。2つ購入。

たまにはいつもとはちがう道を歩いてみるのもいいねと話しながら帰宅する。

来る日も来る日もこうして散歩をしてきた。

2022年の冬から春にかけて私の強迫症の症状が強まってきたときも、行けなくなるギリギリまで散歩をした。当時は散歩中に出くわすいろいろなものが気になり出し、しだいに困難になっていったが、そんな状態の私にも夫はつき合ってくれた。

逆に、夫のうつ状態が思わしくなく、いまにも泣き出しそうな顔をしながらも散歩には行くという夫の手を引きながらゆっくりと歩いた日もある。

 

ひとりで歩くときは、草花や木や鳥や空をゆっくりと見ながら、歩いたり立ち止まったりしながら散歩をする。

ふたりで歩くときは、ずっとしゃべり続けているときもあるし、ほとんどしゃべらないときもある。でも、ひとりで歩くときと同じように、草花や木や鳥を見つけたときや、すてきだな、初めて見たなと思う風景を見つけたときには夫に報告する。ひとりで自由気ままにする散歩も好きだけれど、報告できる人が隣にいるというのはうれしいことだ。

きょうもそんなふうに、春の近い冬の道を一緒に歩いた。

 

窓際のアマリリス、さらに上へと背を伸ばした気がする。

つぼみもこんなふうに。つぼみの子どもたちがもりもりと顔を出した!