つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

立春の散歩

平日も休日も散歩にはほぼ必ず行く。

平日はひとりで。休日は夫とふたりで。

「行こう」とわざわざ気合いを入れなくても、「行こう」とわざわざ提案しなくても、手洗いや歯みがきなどと同じように組み込まれている日常である。散歩経路は気まぐれで、(すぐ近くにある広い公園を選ぶことが多いが)その日、その場の気分によって決める。

 

ところで、私の強迫症強迫性障害)の症状はありがたいことにいいほうへ向かっている。そのため、その良好な状態を定着させるために意識的にトレーニングの機会をさらに増やすようにしている。

そこできょうはドラッグストア(感染症の人が来店する可能性を頭に浮かべてしまうため苦手な場所)に立ち寄ることにした。

きょうは立春だけれども雲が多く冬の空気である。

無事にドラッグストアを出たあとは、次にどの方向へむかうかを夫に決めてもらった。

進んでいくと、小さなパン屋さんがあった。開店したばかりの時間なのに店内は混雑している。2つ購入。

たまにはいつもとはちがう道を歩いてみるのもいいねと話しながら帰宅する。

来る日も来る日もこうして散歩をしてきた。

2022年の冬から春にかけて私の強迫症の症状が強まってきたときも、行けなくなるギリギリまで散歩をした。当時は散歩中に出くわすいろいろなものが気になり出し、しだいに困難になっていったが、そんな状態の私にも夫はつき合ってくれた。

逆に、夫のうつ状態が思わしくなく、いまにも泣き出しそうな顔をしながらも散歩には行くという夫の手を引きながらゆっくりと歩いた日もある。

 

ひとりで歩くときは、草花や木や鳥や空をゆっくりと見ながら、歩いたり立ち止まったりしながら散歩をする。

ふたりで歩くときは、ずっとしゃべり続けているときもあるし、ほとんどしゃべらないときもある。でも、ひとりで歩くときと同じように、草花や木や鳥を見つけたときや、すてきだな、初めて見たなと思う風景を見つけたときには夫に報告する。ひとりで自由気ままにする散歩も好きだけれど、報告できる人が隣にいるというのはうれしいことだ。

きょうもそんなふうに、春の近い冬の道を一緒に歩いた。

 

窓際のアマリリス、さらに上へと背を伸ばした気がする。

つぼみもこんなふうに。つぼみの子どもたちがもりもりと顔を出した!