つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

強迫症(強迫性障害)、佐藤二朗さんのこと

きょう、ネットニュースで佐藤二朗さんが強迫症強迫性障害)であることを知った。

(現在の病名は「強迫症」。「強迫性障害」は以前の呼び名です。ただ、「強迫症」はまだあまり定着していない様子。私は一応言葉を扱う翻訳の仕事をしているので、このブログではいつも最初に「強迫症強迫性障害)」と書いて、それ以降は「強迫症」としています。)

news.tv-asahi.co.jp

強迫症を題材にした『memo』という映画をつくっていたことも知らなかった。観てみたいな。

強迫症、症状は多種多様で人それぞれだけど、記事にある「病。キツイ。マジでキツイ」という短い言葉に込められている強迫症独特のキツさはイヤというほどわかる。

佐藤さんの言葉「世の中で一番大事な『家族』と、世の中で一番大事な『芝居』を、絶対に、絶対に、浸食されぬよう、僕は生きるか死ぬかで、全身全霊で生きる」。私の場合はあっという間に家族を巻き込んでひどい状態に、仕事どころか何もできない、自宅で一歩も動けないような状態になってしまった。そこまで悪化した原因には、私の場合は、病院に行くこと、強迫症の薬を飲むことそのものが恐怖の対象であり、そのあまりの恐ろしさにギリギリまで行動に移さなかった点や、オンラインカウンセリングを受け行動療法を開始していたものの悪化のスピードが速すぎて追いつかなかった点がある。

だから、どうか、佐藤二朗さん含め強迫症を抱える人たちが、大事なものを守りつづけられることを切に願う。なんてえらそうに言う私も、二度とあんなふうになってたまるかという強い決意のもとで生きていく。

完治できれば何よりうれしいが、自分は難しいのかなとも思う(再発する人や完治しない人も多いが、完治した人もいる。完治した人には患者会で会えた)。

強迫観念による強迫行為(私の場合は、手を洗い続ける、病院や薬局に怖くて行けないなど)は、徐々に改善されているものの、恐怖の源(特定のウイルスや菌→それによる特定の身体症状)そのものは相変わらず恐ろしいままで、いつか「大丈夫」になるとは考えにくいためである。

それから、現在、高用量で服用している薬を減らしたり中止したりすれば、症状がどう変動するかもまだわからない(薬の効果は人それぞれだが、私の場合は運よく効果を示している様子)。

症状がある程度落ち着いたとしても、私の場合、行動療法はおそらく一生続けていかなくてはならないのではないかと思っている。つまり、一生この病とつきあっていくということ。その点で、佐藤さんがおっしゃる「病含め僕」という力強い言葉にとても勇気をもらった。

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きょうのアマリリス。あなたは一体、この先どうなっていくんだい?

 

before(2日前)がこちら。毎日、まったくちがう姿を見せてくれる。

 

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