つくし日記 ~日々の暮らしと翻訳と~

書くこと、歩くこと、自然を愛でることが好き。翻訳の仕事をしています。

迷走神経反射の謎

朝食を終えた直後に、迷走神経反射が起こった。

ごちそうさまをしたあとになんとなく変な感じがするような気がして、でも気のせいかなと思いつつ、少し座ったままでいたところ、ぐるりとおなかが動いたような気がして、下す?と思うと同時に、いや、吐くのか?という感じもしてたちまち気分がわるくなり、徐々に呼吸も苦しくなっていった。まずい、これは、時々起こるあれ(迷走神経反射)が来たか?と思う。失神すると危険なのでそのまま台所の冷たい床に寝転がる。大きく呼吸をしながら、気を失わないよう体に力を入れて不快感と闘う。しばらくしたら、楽になった。

私の場合、これが年に2、3回起こる。起こりやすいタイプなのかな。失神までいってしまうこともあれば、きょうのように失神せずに済むこともある。初めて起こったときはこれが何なのかわからず、とても怖い思いをした。いろいろ調べていくうち、(たぶん)迷走神経反射ってものだということがわかり、少しほっとした。

何度か起こって慣れてくると、その最中は苦しいが、しばらくすると治まることや、気を失っても意識は必ず戻ることがわかってきて、そこまで恐ろしいものではなくなった。

ただ、外でこれが起こると厄介なのね。すぐに横になれない場合もあるし、失神してしまった場合には周りをびっくりさせてしまうから。

電車に乗っているときに起こったときは、次の駅で何とか降りてその場にうずくまっていたところを、一人の優しい男性に助けられた。自販機で水を買って手に握らせてくれた。

医療関係のセミナーに参加したとき(医薬翻訳者をめざしていたころ)は、手術みたいなちょっと生々しい映像を真剣にみていたところ、次に気づいたときには椅子から転げ落ちて複数のお医者さんに囲まれていた(医療セミナーで幸いだった。講演者の先生には「ちょっと生々しすぎたかな」と謝罪されてしまった)。足にまったく力が入らずうまく歩けない私の両脇を支えて、横になれる場所に連れていってくれた。しばらくセミナー担当の女性がそばについていてくれた。

社会のなかには、心優しい人たちがいる。すっと手を差し伸べてくれる人たちがいる。とても素敵な人たち。躊躇することなくすぐに行動に移せる人を尊敬する。この感謝の気持ちを、「次は自分がそういう存在になる」という思いと行動に変えて生きている。


少し慣れてきたとはいえ、やはり怖いし苦しいし、下手をすると失神によってけがをしかねないので、できれば起こってほしくはない。何か対策はないかなと思って探っていたところ、tilt traning(定着した言葉ではないかもしれないが、ティルト訓練とかチルトトレーニングとかいう日本語があるらしい)というのを見つけた。しばらく続けていたこともあるが、迷走神経反射が起こるのは年に数回程度のことなので、起こらない期間が長くなるとサボリがちになる。

あるとき心理士の先生にも相談したところ、迷走神経の働きをよくする運動や、「ポリヴェーガル理論」なるものがあることも教えてもらった。この理論はちょっと難しいので勉強しなくちゃと思っていたのだった(きょう迷走神経反射が起こったので思い出した)。

いつもは何かしら誘因があることが多いのだが、きょうは、ふつうに起きてふつうに朝食をとった(ただ、いつもと異なることといえば、納豆の代わりに、昨晩の残りの肉野菜炒めを食べた)だけなのに、なぜこの症状が出たのか、謎である。


回復してから、いつものように、元気に散歩へ行った。

強迫症とのつきあい、3年目

徒歩とバスで役所へ行く。

自立支援医療(精神通院医療)の年に一度の更新手続きと、そのほかしなければならない手続きがあったから。きょうは計3つの窓口で対応してもらい、ひさしぶりに家族以外の人と長めのやりとりをした。

自立支援医療制度の利用を始めたのは、心療内科での強迫症強迫性障害)の通院治療が長引くだろうと思われた、2022年7月頃のこと。今回で2回目の更新になる。

発症時期について細かいことを言うと、明らかな症状が出始めたのは2022年1月末。強迫症をわずらって約2年と3ヵ月が経過した。つまり、強迫症とのつきあいは3年目に入っているということである。

(このブログにもこの話題を何度も書いているので、その経過をなんとなく追っていてくださる方もいらっしゃるかもしれないが)2ヵ月の入院+その後の薬物&カウンセリング治療によって現在はかなり改善し、今後は薬を減らしていけたらいいなと考えているところである。

 

入院はちょうど今の時期だったので、最近は当時のことをどうしても思い出してしまう。思い出したからまた悪化する、ということはないが、地獄のような恐ろしい日々が頭に浮かぶと気分が滅入るので、ほかのことに集中するようにしている。

それでも、その記憶を忘れてはならないと思うのは、やはり、夫を巻き込み、今も彼を苦しめているという事実があるためだ。私が強迫症を発症するまえの明るくてにぎやかな夫は、まだ戻ってこない。彼の笑顔やユーモアあふれる部分は、私の前では、いまだに影を潜めている。まだ夫も通院と服薬が必要で、その副作用にも悩まされている状態である。

 

そんななかで読んだ本が『妻はサバイバー』(永田豊隆、朝日新聞出版)。

精神障害に苦しみ入退院を繰り返した妻との20年間近くにわたる闘病生活がつまびらかに綴られており、どう表現すればよいかわからないほどのあまりの凄まじさに加えて、障害の内容や程度、闘病期間は異なるもののまるで自分と夫の姿を見ているような感覚にとらわれる部分、自分と重なる部分、夫と重なる部分があるのが苦しく、何度も本を閉じたくなったが、同時に次々と読み進めたくなる勢いに押されて最後まで読み切った。

図書館で予約し長いこと順番待ちをして手にした本(おそらく、新聞で連載され大きな反響を呼んだことや書評に出たことによる影響があるだろう)だったが、返却したあとにどうしても手元に置いておきたくなり結局購入した。

日本の精神科医療が抱える問題についても、考えるきっかけを与えてくれる。

何よりも、著者もご本人も壮絶な闘いに苦しみ生き延びたなかで、よくぞここまで書いてくださったものだと思う。著者とご本人に感謝したいし、精神疾患患者の一人として、多くの人に読んでもらえたらとも思う(きょうはここまでにしておくが、この本についてまた書くかもしれない)。

【公式】永田豊隆『妻はサバイバー』

ご興味があれば、著者の言葉もぜひ読んでみてほしい↓

【ノンフィクション本大賞ノミネート作】摂食障害、アルコール依存症、認知症…妻の介護を綴ったルポ『妻はサバイバー』著者の願い|朝日新聞出版さんぽ

「かくれてしまえばいいのです」と居場所について

新聞を読んでいたら、こんなウェブサイトが紹介されていた。

kakurega.lifelink.or.jp

 

生きづらさを抱える子どもや若者の居場所として、NPO法人 自殺対策支援センターライフリンクが開設したウェブサイトで、「もしあなたが生きるのがしんどくて、この世からいなくなりたいと思っているなら、まずは1回かくれてしまいましょう」との提案を具現化したものだという。24時間無料で、匿名で利用できる。

(新聞記事はこちらでも読める)。

子どもでも若者でもないし、今は「この世からいなくなりたい」と考えることは少なくなった私だけど、どんな場所なのか見てみたいと思い、ためしに少しだけかくれがに入ってみた。

かくれがは、「しにたいきもちとむきあうエリア」と「しにたいきもちをやりすごすエリア」に分かれており、言葉をかけてくれる人がいたり話を聞かせてもらったりできる場所がある。自分のほかにも、かくれがに来ている人がたくさんいることが画面上でわかり、なんだかほっとした(少し行っただけなので、ほかにもたくさんの発見があると思う)。

このかくれがには、電話やSNSで専門家とつながることができる窓口もある。そのように相談しようという気持ちがなくても利用可能であるという部分も、このウェブ空間の価値であると思う。

誰にとっても居場所は必要なもの。不安や恐怖を感じることなく安心して過ごせる居場所がなければ、心の安定を保つことは難しい。

居場所については以前からいろいろ興味があったものの、ウェブサイト上に居場所空間をつくるというアプローチは、子どもたちもパソコンやインターネットを使用するようになった今の時代だからこそできる、これまでにない方法だなと思う(追記、ただし家庭の通信環境はさまざまであり、誰もが常にネットを利用できるわけではない。このような場所にアクセスしたくてもできない人がいるという格差の問題があることを忘れてはならないことに気づいた)。

このような取り組みが必要な人に届くこと、このような居場所によって救われる人が一人でも増えることを願う。

絵本作家ヨシタケシンスケさんの絵も心をやわらかくしてくれる。


最後に、下記のページも見つけたのでここに置いておく。

note.com

私もこれまでの人生、もう生きていたくないと思ったことが何度あるかわからないが、「そんなこと言っちゃダメ」などと言われると、相手は私のことを思って言ってくれていることがわかりつつも、自分を否定されたようでますますしんどくなることもある。だから、私も、だれかに死にたいというような思いを打ち明けられたときには、まずはそのまま受け止めたいと思っている。

このページに書いてある「安全な空間で、安心して死にたがることができる」場所があり、そこにいつでも行けるというのは、死にたいと思う人にとって救いになると思うし、「生きていていいんだよ」という言葉や「『死にたい』気持ちを抱えながら生きることはできるし、『死にたい』気持ちを抱えているからこそ生きられる人生もある」という語りかけは、涙が出るほどあたたかい。

帰省、5年半ぶりの5日間 (1) 帰宅

仕事を5日間お休みにして実家に帰っていた。

帰省するのは2018年10月以来なので、実に5年半ぶり。

もともとそれほど頻繁に実家に帰るほうではないのに加えて、コロナの流行や強迫症の発症など移動を妨げる出来事が立て続けに起こったため、気づけば思った以上に長い時間が経過していた。というわけで、超ひさびさに帰省した5日間のことをここに記録しておこうと思う。

5日間の流れは以下のとおり。

~~~~~

1日目、移動日(徒歩→普通列車→新幹線→普通列車→車で片道約5時間)
2日目、大学時代の友人と母校を散歩
3日目、中学時代の友人の家を訪問
4日目、姉、母と外出(カラオケ、カフェ、散歩など)
5日目、移動日

~~~~~

1日目。

お昼ごろに自宅を出る。

少し雨がぱらついていたが、ぬれた傘を持ち歩くのが面倒なので傘をささずに最寄り駅まで歩く。電車を乗り継いで品川駅へ。乗車予定の新幹線の発車時刻よりも35分ほど早く到着。新幹線の改札から入場したあと、トイレに行っておく(これは、強迫症[不潔恐怖]が完治していない私にとっての難関その1。大きなボストンバックとリュックを抱えていたので不安だったが、ほぼ難なくクリア。JRの駅は通常、ハンドソープが設置されていないのだが、新幹線利用者用のトイレは例外のようでありがたかった)

新幹線は予定時刻より5分ほど遅れて品川駅を出発(新幹線への乗車、強迫症[不潔恐怖]が完治していない私にとっての難関その2。窓が開かない状態の空間に長時間滞在するのに不安があったが、乗ってみればそれほどでもない、というかもう開き直るしかない)

途中、富士山(少し悪天候だったが頭だけ見えた)や茶畑、田園、連なる山々の風景などを楽しんでいるとあっという間に名古屋駅に到着。

そのまま別のホームへ向かい、名古屋からさらに普通列車にゆられて約40分。到着した駅までは母に車で迎えに来てもらい、17:00ころに実家着。

5年半ぶりの母と父そして姉。
5年半ぶりの我が家。

それほど変わっていないようでありながら、父用に介護用ベッドが導入されていたり杖が置いてあったりする。短いように思えた5年半。でも実際には長い時間が経過しており、確実に変化したことが目の前にある。

夕飯は、姉作の厚揚げの煮物と父作の魚の煮つけを頂いた。

ゆるキャラのうながっぱ(やなせたかしさんのデザイン)です♡ どうぞよろしくね。

卒業

「卒業」というタイトルで書くには少し遅すぎるけれど、この春、私はあることから卒業した。

そのあることとは、強迫症(不潔恐怖)の行動療法である。

薬物療法は現在も続けているが、行動療法はひとまず終了してもよいと思われる程度の状態まで、症状が回復したということである。

強迫症を発症したのが2022年1月頃。
症状が悪化して入院していた期間は2022年5月~6月。
症状が落ち着いて行動療法を終了したのが2024年3月。

入院時の様子や治療については以前、こちら(旧ブログ)にまとめたことがあるので、今回は退院後の行動療法による治療について、どのような方法でどのように改善したのか少しまとめようと思う。

お世話になったのはOCDサポート さん。

カウンセリングはオンラインで。修了時にカウンセラーさんがまとめてくださった記録によると、この約2年間で35回の面談を受けている。

以下、まとめ。

入院前:自宅でほぼ動けない(壁さえ怖い)ところまで悪化
退院後:動けるようにはなったが、依然として日常生活でいろいろと支障のある状態→この状態でカウンセラーさんによる行動療法を本格的に開始

<行動療法でできるようになったこと>
(すべて「ウイルスや菌がついているかも」という恐怖からできなかったことです)
・買ってきた商品に普通にさわれるようになった
・手づかみで食べられるようになった
・図書館で本を借りられるようになった(症状がひどい時期は建物に近づくことさえできなかった)
・ドラッグストアや薬局に行けるようになった&商品にさわれるようになった
・新聞や郵便物、宅配便のダンボールとその中身をさわれるようになった
・生野菜や生ものを食べられるようになった
・外のトイレを使用できるようになった
・クリーニングで衣類の受け渡しができるようになった
・外食できるようになった(手づかみも含めて)
・恐ろしい(と思って避けていた)ものを見てもあまり取り乱さないようになった
・肉や魚に火を通しすぎず、ほぼ適度な状態で火を止められるようになった

などなど…

<OCDサポートを利用してよかったと思う点>(あくまで私の感想です)
・オンラインでも面談可(恐怖で外に出られなかったため助かる)
・個々に合わせた治療(最初の数回は、病気の重症度や患者の性質などを、面談や、精神科領域の数種類の質問票を使用してカウンセラーさんがかなり細かいところまでチェック。多少時間はかかるが、自分の特徴をさまざまな側面から把握してくださったうえで治療を開始してもらえるので安心)
・行動療法は、カウンセラーさんが一緒にやってくれることがある
・カウンセラーさんが優しく、かなり親身になって話を聞いてくれる
・必要に応じて行動療法以外の方法も使用
・料金設定が良心的(「1時間〇〇円」などではなく、毎回、かかった時間のぶんだけ5分単位で料金が計算されるので、短時間のときは料金が安くなる)
患者会、家族会などの開催もある(これは、OCDサポートの治療を受けていなくても参加可能)

などなど…

強迫症に対する曝露療法の場合、その都度カウンセラーさんと相談してハードルの低いものから順に行うため(例えば、私の「図書館の本を借りる」という課題なら、まず図書館に入る→棚にさわる→さわれそうな本にさわる→借りる→ハードルの高い本も借りる、などというように)、課題に取り組みやすかった。

また、「手づかみで食べる」などは一人ではなかなかうまくいかなかったため、カウンセラーさんが(画面越しに)見守るなかでやってみたところ、途端にうまくいくようになった。

このように、私の行動療法はこのカウンセラーさんとともにあり、本当に力をいただいた。治療がうまくいくかどうかは、カウンセラーさんとの相性も大切だと思う。ちなみに私はこのカウンセラーさんは3人目だ。見つけることができて本当によかったと思っている。出会えたこと、親身になって治療を続けてくださったことに心から感謝している。

カウンセラーさんに教えていただいたことを引き続き実践し、さらに過ごしやすくなるよう努め、薬を減らしてもやめても問題ないところまでもっていきたい。

うちには、もう一人、あることから卒業した人がいて、3月末にこのお花を持ち帰ってきた。

現在ではユリが大きくひらき部屋中にその香りがただよい、卒業を祝うとともに新しい門出を応援してくれているかのようである。

翻訳のウェビナーとトーキョーツキイチMTG

午後からウェビナーを視聴した。

少し前に入会した翻訳者団体が主催するもので、今回は出版翻訳にかかわるお話だった。私は産業翻訳者なので自分には関係のないトピックである。参加してもよいのだろうかという気持ちもあったが、本とその周辺の話には興味があるので、おじゃまします、という気持ちで視聴させてもらった。普段、こんな話を聞ける機会はない。貴重なお話が盛りだくさんで楽しく学ばせてもらった。スピーカーの方々、企画してくださった方々に感謝している。

続いて、トーキョーツキイチMTG (ミーティング)を視聴した。こちらはテレビ番組で、普段は少し大っぴらには話しにくいテーマを含め、仲間とあれこれ語り合おうという雑談バラエティーである。前々回から観るようになったのだが、前回のテーマは「更年期」、前々回のテーマは「生理」、今回(きょうの深夜に放送)のテーマは「膣トレ」といった感じ。

前回の「更年期」の録画を観ようとしたら、録画されていることを確認したはずなのにいつの間にか消えていた。間違って消してしまったのだろうか…仕方ない、と思いつつ、きょうの朝、一応夫にも尋ねてみたところ、「あぁ、あれ消しちゃった。長谷川京子だから関係ないと思って。ごめん」と。あぁ、残念。更年期は特に興味あるテーマだから(なぜ長谷川京子だったから私には関係ないと思ったのかは不明)。

翻訳のウェビナーの視聴を終えたあと、トーキョーツキイチMTGの更年期の放送回について何か少しでも情報があればと思いホームページを確認したところ、なんと!TVerで無料で視聴できることがわかった。しかも、配信はきょうの深夜まで。素晴らしいタイミング。

というわけで、無事に「更年期」の放送回を観ることができたのだった。

MTGには、いつものメンバーに加えて、テレビや雑誌でよく見かける産婦人科医、高尾美穂先生がいらっしゃって心強かった。多種多様な症状や対処法、重くなりやすい人などの情報が得られた。

不調や病気に関する話は暗くなりがちだけど、こんなふうに明るくざっくばらんに仲間(専門家もいれば最高)と語り合える機会があれば、不調もなんとか乗り越えられるかもしれないと、この番組を観て思う。もちろん、更年期症状もそれ以外の不調も人によって程度や現れ方はさまざまだから、その点には気をつけたい。

ちなみに私は45歳(長谷川京子さんと同じだということがわかった!)で、最近、「もしや更年期の症状?」かと疑いたくなる体の変化を実際に感じている。その一つで最も顕著なのが、汗をかくようになったこと。しかも、「ぶわっ」と吹き出すような汗が急に大量に出る。きょうも、午前中に夫と歩いていたら急に暑くなり汗びっしょりに。帰宅して着替えなくてはならなかった。さらに、汗のなかでも最も悩ましいのが寝汗。毎日欠かさず、深夜に一度は着替えなくてはならない。パジャマも全部、びっくりするほどびっしょびしょになって目が覚めてしまうのだ。冬でも夏でも、寒い日でも暖かい日でも同じ。もしかすると薬のせいである可能性も否定できないから、(まだ先は長いが)断薬が終了するまで様子を見るしかないかなと思っているのだけど…。

このように、話し出すとあれやこれやとたくさん話したくなってしまう。同年代の同性の友人とは、これからこういう話をする機会がますます増えていくのかもしれない。

夫婦で共有することも大切である。
新婚のころ、私のPMS症状のイライラがひどかった時期があって、夫を真剣に悩ませてしまっていたらしい。夫が、年上の女性上司に「どうすればいいんですかね」と相談していたことを、ずっとあとになって知った。とても申し訳なかったと思っている(現在は、なぜかイライラの症状はあまり出ない。強迫症のために服用している薬がよい作用をもたらしているのだろうか、と思って『今日の治療薬[南江堂]』を確認したところ、適応外使用だけど「月経前不快気分障害」と書いてあった!)。

男性の更年期症状についてもお互いに理解を深める必要がある。

向かい合っていかなければならない更年期症状に対して、必要以上に不安にならず、適度に情報を収集して、ふさわしい対応をしていけたらいい。

楽しみにしているその日まで

きょうはうれしいことがあった。

2022年の初めころに発症した強迫症強迫性障害)の治療をずっと続けてきた(そしてこれからも続いていく)けれど、ひとまず、大きな節目になりそうな日、と言ってもいいんじゃないかと思う。

それから、来月にまたひとつ、楽しみなことが増えそうな予感。

行く先に楽しみなことがあると、いまを精一杯に生きようと思える。

ただ厄介なのは、最近はいろいろと調子がよいということについて、うれしいのだが同時にこわくもある、調子がよすぎて(ずっとわるかったこれまでにくらべて、だけども)。どうしてこういう考えが湧いてきてしまうのだろう…。思考の癖。

こういうときは、目の前のことを一つひとつ、丁寧にがんばるのだ(まずはきょうの夕飯の準備ね…)。楽しみにしているその日を笑顔で迎えられるように。